2006年10月10日
2006年10月10日
2006年10月10日
2006年10月09日
那覇まつりの花火
おとといは自宅アパートの近所を歩いている時に花火が始まり、急いで帰宅し屋上に上ったが、打ち上げ終了後の煙しか見えなかった。
昨日は電話中で、建物の陰から少しだけ顔を覗かせる花火を玄関そばの窓から見た。
花火はこの2日間とも10分足らずで終わったので、最終日の今日は長めに打ち上げるだろうとアパートの屋上で期待していたが、約7分で終わってしまった。
おまけに撮ったばかりの花火を再生しようとしたら、デジカメの液晶画面に「CARD ERROR」のメッセージが現れた。
6月に九州旅行をした時にも同じメッセージが出て、「何でよ〜」とデジカメの電源を切ってからメディアを抜いたら画像が消えてしまった。その二の舞にならないよう、電源も切らずにデジカメを放置している。
昨日は電話中で、建物の陰から少しだけ顔を覗かせる花火を玄関そばの窓から見た。
花火はこの2日間とも10分足らずで終わったので、最終日の今日は長めに打ち上げるだろうとアパートの屋上で期待していたが、約7分で終わってしまった。
おまけに撮ったばかりの花火を再生しようとしたら、デジカメの液晶画面に「CARD ERROR」のメッセージが現れた。
6月に九州旅行をした時にも同じメッセージが出て、「何でよ〜」とデジカメの電源を切ってからメディアを抜いたら画像が消えてしまった。その二の舞にならないよう、電源も切らずにデジカメを放置している。
2006年10月08日
豊見城市長選
2006年10月08日
2006年10月08日
2006年10月08日
2006年10月08日
2006年10月08日
2006年10月08日
首里城「書院・鎖之間」
復元工事中の「書院・鎖之間(さすのま)」を見学した。完成したら隠れてしまう屋根裏と漆喰を塗る前の壁の写真ばかり撮った。
以下、琉球新報の記事
復元現場見せます 首里城「書院・鎖之間」
首里城公園整備で、主材料のチャーギ(イヌマキ)の適材が見つからないことなどから完成が大幅に遅れていた「書院・鎖之間(さすのま)」に関し、沖縄総合事務局は首里城で行うイベント、中秋の宴(10月6—8日)までの完成が間に合わないことから、期間中、復元工事の現場を一般に公開する。開発建設部によると、現在は全体の70%の仕上がりで12月に完成、来年2月ごろに供用開始を目指す。
28日に沖縄総合事務局で行われた記者懇談会で佐藤孝夫開発建設部長は「完成は間に合わなかったが、めったに見ることができない復元工事中の様子をぜひ見てほしい」と呼び掛けた。
工事が遅れているのは琉球王朝時代に国王が日常の政務や大事な客の接待に使った格式高い木造建築物「書院・鎖之間」。当初、今年3月の完成予定だったが本体工事に着手できず、チャーギの調達のめどが立った5月中旬に棟上げ。当初の遅れが響き、次の目標とした9月末までの完成にも間に合わないことから復元段階で公開することにした。
一般公開されるのは国王が日常の執務などをしていた書院部分。公開までに畳は敷かれる予定だが壁漆喰(しっくい)を塗る予定の壁は、下地のヒノキが見える状況だという。公開時間は午前9時—17時。正殿などがある有料区域の一部になるため、見学は有料となる。(9/29 16:04)
以下、琉球新報の記事
復元現場見せます 首里城「書院・鎖之間」
首里城公園整備で、主材料のチャーギ(イヌマキ)の適材が見つからないことなどから完成が大幅に遅れていた「書院・鎖之間(さすのま)」に関し、沖縄総合事務局は首里城で行うイベント、中秋の宴(10月6—8日)までの完成が間に合わないことから、期間中、復元工事の現場を一般に公開する。開発建設部によると、現在は全体の70%の仕上がりで12月に完成、来年2月ごろに供用開始を目指す。
28日に沖縄総合事務局で行われた記者懇談会で佐藤孝夫開発建設部長は「完成は間に合わなかったが、めったに見ることができない復元工事中の様子をぜひ見てほしい」と呼び掛けた。
工事が遅れているのは琉球王朝時代に国王が日常の政務や大事な客の接待に使った格式高い木造建築物「書院・鎖之間」。当初、今年3月の完成予定だったが本体工事に着手できず、チャーギの調達のめどが立った5月中旬に棟上げ。当初の遅れが響き、次の目標とした9月末までの完成にも間に合わないことから復元段階で公開することにした。
一般公開されるのは国王が日常の執務などをしていた書院部分。公開までに畳は敷かれる予定だが壁漆喰(しっくい)を塗る予定の壁は、下地のヒノキが見える状況だという。公開時間は午前9時—17時。正殿などがある有料区域の一部になるため、見学は有料となる。(9/29 16:04)
2006年10月07日
2006年10月07日
轟の滝
2006年10月07日
くろちゃん
2006年10月06日
2006年10月06日
2006年10月05日
沖縄県公文書館
講演「地図・空中写真から読む沖縄の今昔」を聴きに来た。
講演後の質問タイムでの出来事。
最初に若い女性が復帰前の軍用道路(軍道)1号線について、その起点と終点、幅員などを質問した。講師の下地恒明氏は国土地理院沖縄支所の職員で、道路の専門家ではないけれど、ご自身のわかる範囲で真摯に回答されていた。帰宅後「軍用道路1号線」でググってみたら、1号線だけではなく、他の軍用道路のこともかなり詳しくわかった。
次に講師の「日本復帰後の沖縄は埋め立てで面積が約25万㎡増えた」という話を受けて、年輩の男性が「この埋め立てに使った土はどこから持ってきたのですか」と質問した。最初の質問よりも更に的はずれだと思った。案の定、下地氏はこの質問に対し実のある回答をすることはできなかったが、真摯な態度を崩されなかった。それどころか、多少申し訳なさそうな顔さえされていた。
ところが、このやりとりの途中、会場から失笑が漏れ、それが所々に飛び火した。私のすぐ前に座っていた女性の3人連れも笑った。それもかなりしつこく。私はこれらを質問者に対する侮辱だと感じて、非常に不愉快になった。「だったら、おめぇらは埋め立てに使った土をどこから運んできたのかわかるのかよっ!」と叫ばないまでも、目の前で口に手を当て大袈裟に肩を震わせている女どもに聞こえよがしに呟こうとして、かろうじてこらえた。
確かではないが、我如古から安里に抜けるバイパスや、安謝から儀保交差点に抜ける環状2号線を建設する際に出た土砂を、各地の埋め立てに使ったと聞いたことがある。それを言おうかどうか迷ったが、結局言えずじまいになってしまった。「義を見てせざるは勇なきなり」という。いかにも人の好さそうな男性を見殺しにした私は、人を小馬鹿にする無礼者どもと同じ穴の狢だと、深く落ち込んで会場を後にした。
講演後の質問タイムでの出来事。
最初に若い女性が復帰前の軍用道路(軍道)1号線について、その起点と終点、幅員などを質問した。講師の下地恒明氏は国土地理院沖縄支所の職員で、道路の専門家ではないけれど、ご自身のわかる範囲で真摯に回答されていた。帰宅後「軍用道路1号線」でググってみたら、1号線だけではなく、他の軍用道路のこともかなり詳しくわかった。
次に講師の「日本復帰後の沖縄は埋め立てで面積が約25万㎡増えた」という話を受けて、年輩の男性が「この埋め立てに使った土はどこから持ってきたのですか」と質問した。最初の質問よりも更に的はずれだと思った。案の定、下地氏はこの質問に対し実のある回答をすることはできなかったが、真摯な態度を崩されなかった。それどころか、多少申し訳なさそうな顔さえされていた。
ところが、このやりとりの途中、会場から失笑が漏れ、それが所々に飛び火した。私のすぐ前に座っていた女性の3人連れも笑った。それもかなりしつこく。私はこれらを質問者に対する侮辱だと感じて、非常に不愉快になった。「だったら、おめぇらは埋め立てに使った土をどこから運んできたのかわかるのかよっ!」と叫ばないまでも、目の前で口に手を当て大袈裟に肩を震わせている女どもに聞こえよがしに呟こうとして、かろうじてこらえた。
確かではないが、我如古から安里に抜けるバイパスや、安謝から儀保交差点に抜ける環状2号線を建設する際に出た土砂を、各地の埋め立てに使ったと聞いたことがある。それを言おうかどうか迷ったが、結局言えずじまいになってしまった。「義を見てせざるは勇なきなり」という。いかにも人の好さそうな男性を見殺しにした私は、人を小馬鹿にする無礼者どもと同じ穴の狢だと、深く落ち込んで会場を後にした。
2006年10月04日
2006年10月04日
弁当配達人
独り暮らしの父は、日曜祝祭日を除く1日2回(昼と夜)、弁当を取っている。
夜の分は16:00前後に配達される。先月途中から替わったと思われる午後の配達人はドアフォンを鳴らすが、父が玄関に出てくる間にエレベーターに乗り込んでいて姿を見せない。その初日、父はドアを開けても誰もいないので、子供の悪戯だと思い腹を立てたらしい。そして、18:00頃になってから今日は弁当の配達が遅いなと心配になり、もしやと思い再度ドアを開け脇に置かれている弁当を発見したそうだ。前任者は手渡してくれたのだが…。確かに父は足が悪く、他の人に比べるとドアを開けるまでに時間はかかるだろうが、それにしても1分足らずだ。これくらい待てないのかなと不思議に思う。
「音はすれども姿は見えず」ということが何日か続いたので、ほぼ定刻通りにドアフォンが鳴っても父は席を立とうとしなくなった。先日1度だけ、ピンポンダッシュまがいのことをする奴の顔が見たくなり、ドアフォンが鳴った後、私も負けじと小走りで玄関に向かい、威勢よく「はい、はい〜」と返事をしながらドアを開けたら、閉まりかかったエレベーターの扉の陰から「あ…、弁当で〜す」と驚いたような声だけが聞こえた。
現在、他の弁当屋に変更すべく資料を集めている。
夜の分は16:00前後に配達される。先月途中から替わったと思われる午後の配達人はドアフォンを鳴らすが、父が玄関に出てくる間にエレベーターに乗り込んでいて姿を見せない。その初日、父はドアを開けても誰もいないので、子供の悪戯だと思い腹を立てたらしい。そして、18:00頃になってから今日は弁当の配達が遅いなと心配になり、もしやと思い再度ドアを開け脇に置かれている弁当を発見したそうだ。前任者は手渡してくれたのだが…。確かに父は足が悪く、他の人に比べるとドアを開けるまでに時間はかかるだろうが、それにしても1分足らずだ。これくらい待てないのかなと不思議に思う。
「音はすれども姿は見えず」ということが何日か続いたので、ほぼ定刻通りにドアフォンが鳴っても父は席を立とうとしなくなった。先日1度だけ、ピンポンダッシュまがいのことをする奴の顔が見たくなり、ドアフォンが鳴った後、私も負けじと小走りで玄関に向かい、威勢よく「はい、はい〜」と返事をしながらドアを開けたら、閉まりかかったエレベーターの扉の陰から「あ…、弁当で〜す」と驚いたような声だけが聞こえた。
現在、他の弁当屋に変更すべく資料を集めている。